国内を代表するスチールラックメーカー~企業の成長は社員の成長と共に~(三進金属工業株式会社)
関西を走る阪神高速4号湾岸線を南に走っていると、関西空港に向かう途中で左手に見える看板。
車で通ったことのある方は見られたこともあるかもしれませんが、何の看板かご存じでしょうか?
大阪府泉北郡忠岡町に本社を構える三進金属工業株式会社の総合配送センター兼塗装工場の看板ですが、同社はOEM主体の企業であり、世間一般の知名度は高くありません。
しかし、実は今や物流倉庫・工場等には欠かせない産業用スチールラックのメーカーとして、売上・生産量共に日本一を誇っています。
高度な開発力と製品供給能力
同社はスチールラックの完成品メーカーですが、自社で開発設計部門を有し、原材料等の仕入から製造・塗装・組立まで行い、その完成品の出荷・販売・設置・メンテナンスまで一貫して手掛けています。
また、約23haと東京ドーム7個分の敷地内に4つ工場があるアジア最大級の福島工場は東日本エリアへの供給基地となっており、西日本エリアは本社がある大阪工場を供給基地とすることで全国を網羅的にカバーしています。
ラックメーカーで東西に2つ工場があるのは同社のみで、業界トップクラスの生産体制を整えており、全国への製品供給東西能力が高い点も強みです。
加えて、同社は、工場等の空間の効果的な使い方を提案するノウハウをもち、顧客の生産性を高める付加価値を提供しています。
近年では、空間の有効利用の提案力が高く評価され、全国の研究機関や企業から「研究者や実験者を有害物質から保護する局所排気装置(ヒュームフード)を追加したいが、スペースがない」といった悩みが同社に寄せられます。
それを解決するため、これまで蓄積された倉庫や工場内におけるコンサルティング力と技術力を活かし、既存のヒュームフードや実験台フードのサッシに取り付けることができる低風量型給気システム「エコプッシュ」を開発し、本製品は高い省エネ性能が評価され、「2023年度省エネ大賞 製品・ビジネスモデル部門 省エネルギーセンター会長賞」、「第35回りそな中小企業優秀新技術・新製品賞 奨励賞」を受賞しています。
また、同社は、競合他社との差別化を目指して、古くから物流情報システムに着目し、保有のIT人材の能力を最大限活かし、1994年に他社に先行しピッキングシステムの開発に成功。
その後、大手コンビニに納入される等、今や常識となったハード(ラック)とソフト(管理システム)が連動する製品(※)の先駆けとして、小売や卸事業者、物流事業者など様々な主体や業界に数々のサービスを提供した実績をもちます。
昨今の物流2024年問題の社会的背景から、今でこそ、物流の効率化に貢献する企業として業績に追い風が吹いていますが、今年で創業60周年を迎える当社の歴史は決して順風満帆ではなかったといいます。
今までの軌跡を社長の新井宏昌さんに振り返って頂くとともに、創業100年に向けた今後の展開について熱く語って頂きました。
幾多の苦難を乗り越え躍進
現会長(新井さんの父)の創業時は、鋼材に大きな圧力をかけ、目的の形状に切断加工するシャーリング加工等の下請け仕事が大半で、手形の不渡りも多く資金的に大変でした。
工場を新設する際は、信用金庫の開店時間と同時に融資のお願いに駆け込んだり、コスト削減のために資材に廃材を使用するアイデアを自ら工務店に持ち込むなど、努力と工夫を重ねていました。
また当時は高度経済成長時代、賃金の良い所を求めて職人は次々と辞めていき、職人10人中9人が退職するなど、人繰りの面でも危機はありました。
こちらも、大阪を飛び出して造船技術者が多数いる因島(広島県尾道市)まで訪れて職人集めをして何とか事業を維持できました。
様々な苦労をしながら会社経営する中で「当社独自事業を考え、もっと企業価値を高めなければダメだ」と事業転換を考え、現事業の基礎となるスチール棚板の製造を開始しましたが、こちらでも苦難は続きました。
当時、売上の半分を占める発注元が社長急逝により体制が変わり、当社が受注していた業務を全て内製化することとなり、一気に売上が半減する事態に。慌てて交渉した結果、発注元の2系統ある販売ルートの内の1つを買い取ることで売上維持を図ったものの、その販売ルートは赤字だった為に大変苦労しました。
ただこれをきっかけに、孫請けを脱し、その後の開発設計部の設置、塗装ラインと総合配送センターの導入、上記会社の販売拠点のグループ化に繋がったことを考えると、「製販一体型メーカーとなる意味で、良い転機であった」と語ります。
その後、今の当社を形づくる出来事が2つ起こります。
1つ目は「袋框(ふくろかまち)形状」(※)の開発です。
「中量棚板における袋框(ふくろかまち)形状の開発が、他社も真似出来ない当社の強みとなり、棚板のライバル会社が10社ほどいましたが、同社が実用新案をおさえて、業界内で一歩リードすることが出来ましたことが大きかった」と新井さんは言います。
2つ目はリーマンショックと東日本大震災です。
リーマンショックでは価格競争が激化し、売上の約30%がダウンしました。
給料・賞与カット、早期退職を行うなど非常に厳しい状況が続く中で、更にその3年後に東日本大震災発生が発生し、その一報を受けた際には、福島に工場がある当社にとって「さすがに、ここで終わりか」と思ったとのこと。
しかし、当社はそれでも諦めず、福島工場は復旧に向けて従業員が一致団結。
特に、会長が1999年の工場建設のタイミングで福島に移住していたため、被災者として被災地で、労使一体となり復旧の目標に向かえたことが、現地の団結と士気向上に大きな役割を果たしたといいます。
また、震災を境に国内の需給バランスも変化した結果、需要が「価格競争」から「安定供給」「納期競争」に大転換したことで、当社が誇る東西両工場を背景とした高い製品供給能力が評価され業績はV字回復。
その後の大手Eコマース事業者との取引も深まり、現在の大躍進に繋がっていることを考えると、「今となっては本当に奇跡的な出来事であった」と話します。
「100年企業」を目指して
新井さんは常々「世の中”ペーパレス”になっても”モノレス”にはならない!」「モノがある以上、必ずラックは必要になる。だから未来永劫続くという想いで100年企業を目指そう!」と社員に向かって話しています。
その為には「人材がとても重要である」と考えています。
「当社のものづくりは、過去の苦しい経験から人を大切にすることが根底にあります。諦めなければ誰か(人)が助けてくれます。それは社員に対しても同じ思いであることから、当社は”企業の成長は社員の成長と共に”というスローガンを掲げ、社員への投資を積極的に図り、健康経営にも力を入れています。」
例えば福島工場では、「工場内でずっと働いていると気分が落ち込みがちになって良くないだろう」と考え、ストレス緩和の為に、自然と融合するファクトリーパークを具現化したのが、工場敷地内に設置した地域のコミュニティ施設「緑正館」です。
この施設では、社員やその家族が地元住民の方と果物狩りやコンサート、食事会などのイベントを通じて交流をする等、リフレッシュができ、ストレス緩和や生産性向上にもつながる場として好評を得ています。
※平成26年(2014年)緑化推進功労者 内閣総理大臣賞を受賞
また福島工場周辺では、当社社員のみんなに「美味しいものを食べていつまでも健康であってほしい」という願いを込めて、「サンシン夢ファーム」という農場で新鮮な野菜やお米【三進米】を栽培し、社員やその家族に配ったり、社員食堂の健康に配慮した献立の食材として提供しています。
また社員食堂では、例えばトンカツ定食がお米やサラダがおかわり無料で300円で提供されるなど社員からは大変感謝されています。
「今後は、特にルーティンワークの部分において積極的に自動化や省力化を図り、それにより生まれる時間を上手く活かし、”創造性のある働き方”を実現させることがポイントになると考えています。」と新井さんは語ります。
社員の成長を見守り、社員の健康を大切にし成長を続ける同社が、社員から溢れ出る新しいアイデアを武器に、持ち前の「開発力」と「製品供給能力」をさらに高め、今後より一層発展していく姿から我々も目が離せません。
KIZASHI[関西おもしろ企業事例集 - 企業訪問から見える新たな兆 (きざし)]
経済産業省近畿経済産業局は、近畿2府5県(福井県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県)における経済産業省を代表する機関であり、経済産業施策の総合的な窓口機関です。年間 1,000 件以上にも及ぶ企業訪問を通じて、未来に向けて躍動する関西企業を発掘し、そんな企業の挑戦を、より良い未来を見据えた変化への「兆し」と捉え、「KIZASHI[関西おもしろ企業事例集 - 企業訪問から見える新たな兆 (きざし)]」として、とりまとめています。
「KIZASHI」
https://www.kansai.meti.go.jp/1-9chushoresearch/jirei/jireitop.html
地域未来牽引企業
地域内外の取引実態や雇用・売上高を勘案し、地域経済への影響力が大きく、成長性が見込まれるとともに、地域経済のバリューチェーンの中心的な担い手、および担い手候補である企業を、経済産業省では「地域未来牽引企業」として選定しています。
「地域未来牽引企業」
https://www.meti.go.jp/policy/sme_chiiki/chiiki_kenin_kigyou/index.html