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150年の伝統を未来に紡ぐ産地との「わ」の物語、亀井堂総本店の挑戦(株式会社亀井堂総本店)

亀井堂総本店は、瓦せんべいの発祥の企業として150年以上の歴史を誇る神戸の菓子店です。日本の菓子文化を変えたイノベーターであった同社の歴史を守りながら、新たな挑戦を試みる5代目社長の松井隆昌さんにお話を伺いました。

株式会社亀井堂総本店
創業:1873年
従業員数:41名
業種:瓦せんべいを中心とした食品製造・小売業
所在地:兵庫県神戸市中央区元町通6丁目3番17号
#アトツギ #100年企業 #神戸元町商店街 #新商品開発 #瓦せんべい


思いをつなぐ代表商品「瓦せんべい」

亀井堂総本店は、150年以上続く神戸の菓子店です。
主力商品は「瓦せんべい」。カステラと同じ材料を使い焼き上げる洋風のせんべいです。同社が生み出した、神戸の名物でもある瓦せんべいは、他のお菓子にはない特色を持っています。それは、瓦せんべいにはオリジナルの焼き印を入れることができる点です。学校の校章や企業のロゴマークを入れ、卒業祝いやご挨拶などの場面で贈ることができます。オリジナルの焼き印が入ることで特別感の付与だけでなく、瓦せんべいにある役割が生まれます。

例えば、通常お菓子を贈る場合、のしに送り主の名前を入れます。しかし、お菓子を食べるためにのしを外すと、どなたからの贈り物かわからなくなってしまいます。一方、瓦せんべいの場合、瓦せんべい自体に企業のロゴマークが入っているため、のしを外してしまっても送り主がわかり、瓦せんべいが名刺のような役割を果たします。のしがかかったお菓子を直接渡すことができる相手が少なくても、そこから配られた多くの方に送り主の方のPRをすることができる広告ともなれるのです。送り主の思いを受け手に届けることができ、双方のつながりを深めることができるという特色を持っています。

職人の手で一枚一枚に印を焼き付ける「瓦せんべい」。熟練した技術で、瓦のゆるやかなカーブが形成されている。

さらに、亀井堂総本店にとっての広告の役割も果たします。印象に残る特徴的な瓦の形が社会に認知されることによって、神戸だけでなく日本の各地で広く「瓦せんべい」の名前が知られるようになりました。このように多様な役割を持つ革新的なお菓子である瓦せんべいを生み出した同社は、常に「革新」とともに歴史を作ってきました。

亀井堂総本店、150年の歴史

亀井堂総本店のはじまりは1873年。紅梅焼というせんべいを作る商店に勤めていた松井佐助氏(初代)が紅梅焼と神戸港に入る輸入品の砂糖や小麦、各地から集まる高級品の卵を組み合わせた「瓦せんべい」を開発しました。お菓子といえば和菓子が中心であった時代に洋菓子の材料と和菓子の製造技術を組み合わせ革新的なプロダクトを生み出し、洋菓子の街・神戸を作り上げるきっかけとなったといえます。

明治初期の亀井堂総本店(https://www.kameido.co.jp/history/

初代の佐助氏は瓦せんべいの製造販売を独占せず門戸を広げ、瓦せんべいのマーケットを拡大しました。結果、50年前の神戸では瓦せんべい屋が100社を数え、大きな業界を作り上げました。そんな初代から事業を引き継いだ2代目社長の松井福三郎氏は、瓦せんべいの品質改善に取り組みました。選りすぐりの材料を集め、配合に改良を重ねることで現在にも続く瓦せんべいのおいしさの基礎を作りました。

小瓦(現在)の焼き印原画(https://www.kameido.co.jp/history/

3代目社長の松井佐知夫氏は第二次世界大戦のなか自身が戦地に赴きながらも、戦争からの再興を遂げました。神戸大空襲により店舗も土地も無くなってしまいましたが、同社の火を絶やさぬように仙台の知人に紹介された仕事で資金を作り、全国に散り散りになっていた職人を呼び戻し亀井堂総本店を再建しました。

4代目社長の松井佐一郎氏は、同社の知名度を全国に拡大させました。生菓子の部門を作るなど瓦せんべい以外の商品にも力を入れました。1995年の阪神・淡路大震災に見舞われ、自社の社屋や製造設備に被害を受けながらも復興を成し遂げ、街の繁栄にも貢献しました。初代から絶やさず瓦せんべいを作り続けた亀井堂総本店。現在、5代目社長の松井隆昌さんは、この歴史を受け継ぎ、さらなる改革を続けています。

5代目社長、松井隆昌さんの改革

松井社長が就任後、はじめに取り組んだことは働く環境の改善でした。

現代に合った働き方改革の実現に向け、年間休日数をこれまでの2倍ほどに増やし、社員の自己成長のための時間を尊重しました。もちろん、単純に仕事量を減らした訳ではなく、省力化のための設備投資や、季節ごとの生産量の波を見越して計画的に作業を行うことで、残業の削減と休日の増加を目指しました。

歴史を紐解きながら、大切にし続けるものと、変わり続けるもの、このバランスをとっていくのが経営者の仕事と語る松井社長

製造現場の空調を改善し、事務所の改装を行うなどの現場環境の改善も取り組みました。入社当時からものづくりの心臓部分は人であり、社員がやめてしまうことのない仕組みを整えたいと考えていた松井社長は、「働く人を大切にすることが商品の品質向上、同店の存続に関わる」と言います。

また、人口減少の時代に入り最盛期に比べて瓦せんべいの売上が落ち、社会から瓦せんべいが取り残されていると危機感をもっていた松井社長は、新事業展開を図ります。それが、オリーブやなるとオレンジ、栗などを混ぜ込んだバタークリームをクッキーで挟んだバターサンド「TONOWA」です。

亀井堂の歴史と革新がつまった新商品「TONOWA

現在、コンビニなどにも美味しいお菓子はあふれています。その中で差別化を図るために同社が取り組んだことは、食糧自給率という社会課題への文脈に商品であるお菓子をストーリーとして付加することでした。国内の果物にターゲットを当て、産地と消費者をつなぐきっかけとなるお菓子を作ろうとしたことが「TONOWA」の開発の始まりとのことです。これがまさに『産地との「わ」の物語』の代表例です。さらに、メディアにも積極的に出演することで取材も増えて同社の知名度を高めました。

このように様々な改革を行っている松井社長ですが、地域とのつながりを大切にしてきた同社の精神はこれからも大切にし続けるものとして欠かさず、しっかりと受け継がれています。

地域とのつながり

創業以来、戦争や阪神・淡路大震災に見舞われながらも、神戸元町でお菓子を作り続けてきた亀井堂総本店。地元に根ざして、地元でできる仕事をしていくという姿勢は現在も変わりません。

神戸元町商店街で開催される夜市に参加し、イベントを盛り上げました。具体的には、コロナにより祭りや屋台が減少していることを受け、松井社長は屋台でおなじみのかたぬきを、瓦せんべいに応用したお菓子「かたぬき瓦せんべい」を考案、夜市イベントで出店し、多くの子供たちがかたぬきを楽しみました。また、地元の王子動物園と連携し、お土産として動物園仕様の瓦せんべいを販売、売り上げの一部を同園に還元する取組を進めています。瓦せんべいを通して、いかに地域や社会とつながり続けていくか松井社長は模索しています。

元町六丁目商店街にある亀井堂総本店。商店街、そして地域とともに生きる企業として、まちの活性化にも取り組んでいる。

さらに、元町六丁目商店街振興組合の理事も務められている松井社長は、商店街の活性化にも真摯に取り組んでいます。例えば、商店街の人の流れを可視化することで、イベントの効果測定や今後の取り組みの方向性を皆で検討することができないかと考えています。

代々受け継がれてきた亀井堂総本店の店主の思いを大切にしながらも、松井社長は「時代に合わせたコーディネートが必要で、それを行うことが社長の仕事。そのためには時代に合わせて変わるところ、亀井堂総本店として変わってはいけないところを明らかにする必要がある。」そう考えた松井社長は、歴史を紐解き、同社の不変の理念を示すために、『亀井堂総本店の手引書』を作成しました。

理念を言葉として示す『亀井堂総本店の手引書』の作成

次のステージに会社を導くには、目に見える形での方針や理念は必要だと考えていた松井社長。ご自身で調べ、ヒアリングを重ねて150年余りある同店の歴史を振り返る中で、働く人が誇りに思えるようにしたい、地域のアイデンティティのような存在になりたいと思ったそうです。そのための仕事の定義を可視化したものが『亀井堂総本店の手引書』です。

同社の仕事の定義が記された『亀井堂総本店の手引書』

「社員に強制するのではなく、自主的に良いものを作ってもらうにはどうすればよいのか。それは、目的意識を持たせることだ」と松井社長は話します。瓦せんべいに焼き印を押す作業ひとつをとっても、焼き印を押す意義を理解することで、作業の質も異なります。このような意識を全員に理解してもらうには、口伝ではなく誰にでもわかる形で示すことが重要です。そのため、手引き書では、同社のこころざしたる「世の縁をあたためる」を起点に、人と人、過去と今、産地とお客様など、様々な縁を大切にあたためるために必要な行動方針も示されています。 

何のために行っているか、どう動くのか、手引き書を通じて社員に伝えていくことで社員の目的意識を作ろうということです。創業者が何をしたかったのを理解し、具現化することが同社の歴史を紡ぎ続けることにつながっていくことでしょう。

150年以上、代々受け継がれてきた亀井堂総本店の精神。歴史を紐解いていく中で、「瓦せんべい屋である前にイノベーターだ。」と松井社長は語ります。

「そもそも瓦せんべいは、人の役に立つという目的を達成するための手段です。社会に対し、明日の活力と驚きを提供しています。神戸開港から5年で生み出され、日本のお菓子が和から洋へ変革するベースとなった改革精神をこれからも持ち続けなければなりません。」これからも松井社長の「改革」は続いていきます。


KIZASHI[関西おもしろ企業事例集 - 企業訪問から見える新たな兆 (きざし)]

近畿経済産業局では、年間1,000件以上にも及ぶ企業・団体を訪問し、企業の変革のための挑戦を捉え、2025・2030年の先、将来を見据えた変化の「兆」として紹介するために、「KIZASHI  [関西おもしろ企業事例集 - 企業訪問から見える新たな兆(きざし)]」として、作成、公表しています。

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